神戸地方裁判所 昭和27年(ヨ)328号 判決 1952年11月13日
申請人 倉本達一
被申請人 塚本商事機械株式会社
主文
一、申請人が被申請人に対して提起すべき本案判決の確定するまで、仮に、申請人が被申請人の従業員であることを定める。
二、被申請人は申請人に対して、昭和二七年八月一日より右本案判決の確定するまで毎月二五日かぎり、金一〇、八七八円を支払え。
三、申請費用は被申請人の負担とする。
(無保証)
事実
申請人代理人は、主文第一乃至第三項同旨の判決を求め、申請の理由として、次のように述べた。
一、被申請人は鋼管の加工を業とする株式会社であり、肩書地に本店を、大阪市内に営業所を、尼崎市金楽寺字長総八番地の一に工場を有しており、(以下被申請人を会社と略称する。)申請人は昭和二三年五月七日より右尼崎工場(当時は中央機械商事株式会社尼崎工場)に仕上工として勤務し日給金四八四円(但し後記解雇当時のことで、月収平均金一〇、八七八円)を受けており、また、昭和二六年一〇月二三日より右工場の従業員で組織する全日本金属労働組合兵庫支部塚本商事機械尼崎工場分会(以下第一組合と略称する。)の執行委員長をしていたところ、会社は昭和二七年七月一六日、同会社の就業規則第七一条により懲戒委員会規則を定め、これに基いて同月二六日懲戒委員会を開き、申請人が他三名と共に、同年五月九日朝八時頃同工場従業員食堂内で坂口登と喧嘩し坂口に全治一週間の打撲傷を与え同月二一日尼崎簡易裁判所において略式命令により罰金五、〇〇〇円を科せられたことを以て、就業規則第七〇条第三号の「他人に対し暴行脅迫を加えた」ことに当るものとして、同人を懲戒解雇処分に付し同月二九日、その旨同人に通告した。
二 然し、右懲戒解雇処分は以下順次予備的に述べるような理由によつて無効である。
(一) 懲戒委員会に関する規則は、従来、就業規則第七一条に「懲戒委員会にかんする規定は別に定める。」とあるのみで具体的な定めはなかつたので、会社は前述のごとく先づ懲戒委員会規則を定めてこれに基き懲戒解雇処分に及んだのであるが、労働基準法第九〇条には「就業規則の作成については組合の意見を聴かなければならない」旨規定せられており、また、就業規則第七四条には「第七〇条(懲戒解雇処分にかんする規定)の適用については組合の同意を得てこれを行う。」とあり、懲戒委員会規則の制定はまさに、労働基準法第九〇条に云う「就業規則の作成」就業規則第七四条に云う「第七〇条の規定の適用」に外ならないから会社は組合と協議した上その同意を得てこれを定めなければならないのに、全く一方的に定めたのであるから右規則は無効でありそれに基いてなされたその後の手続並びに処分はすべて無効である。
(二) 前述のごとく、就業規則第七四条によれば、会社が懲戒解雇処分をなすについては組合の同意を得なければならないところ会社が昭和二七年七月二六日第一組合に、右処分に同意するよう要求したのに対し、右組合は同月二八日これを拒絶したのであるから、右処分は無効である。
(三) 次のような諸事情を綜合すれば、右懲戒解雇処分は解雇権の濫用であつて無効である。
(1) 申請人を執行委員長とする第一組合(当時組合員三二名)は、昭和二七年二月一三日同分会定期大会を開き、会社に対して賃金値上、退職金規定の制定、労働協約の締結等を要求することを決議し、三月上旬より会社と団体交渉に入つたが、会社を代表して右交渉に当つた右工場長木村与次郎が言を左右にして交渉に応ぜず、徒に日を過しているうちに、同月二三日頃になつて、組合員の坂口登外二名と共に、会社の承認援助を得て新組合結成を企て、右結成に参加するよう組合員を勧誘して廻つたので、第一組合はその対策として、同月二八日大会を開き、右三名の除名を決議したところ、同年四月六日、右三名とそれまで第一組合員であつた八名と従来非組合員であつた事務員等で尼崎地区労働協議会塚本商事機械株式会社尼崎工場新労働組合(以下第二組合と略称する。)の結成を行つた。その後、会社は第二組合の拡大を待ちつゝ第一組合に対しては、第二組合と提携しないうちは交渉に応じられないと云つて交渉を回避していたので、交渉は、はかばかしく進まなかつた。このような状況下で、第一組合の執行委員長として、会社との交渉に日夜全力を挙げていた申請人は第二組合を率先して結成し、第一組合の力を弱め、また、会社に前述のような交渉回避の口実を与えた坂口を憎悪し、坂口もまた前記除名の経緯などから申請人はじめ第一組合の幹部に反感を抱いていて、両者間に険悪な感情が燻つていたところ、たまたま前記日時、第一組合の宣伝用ポスターの用紙にしていた古新聞紙が約二寸位右工場従業員食堂にある坂口の脱衣箱の上に積んであつたのを、丁度作業衣に着替えるため同所に来た坂口が床に投げすてたことから、申請人の悪感情は爆発し、申請人外三名と坂口との殴合の喧嘩となり、前述のごとき結果になつたのである。かくのごとく、申請人が坂口に対し、暴行を加えたと云つても、もともと会社が坂口を応援して第二組合結成に当らしめたことに源を発し、更に争議中の極度に興奮した心理と、第一組合第二組合間の感情のもつれが双方の指導的立場にある両人を駆つて、古新聞紙をきつかけに喧嘩するに至らしめたのにすぎないのであつて、通常の暴行事件とは全くその性質を異にするのである。
(2) ところで、交渉はその後も続けられ、特に同年六月に入つて逐次妥結の色が見えかけ、六月一〇日には、会社側から工場長木村会計係藤田斎、第一組合から申請人、第一組合書記長松本加蔵等その外尼崎地区全労働組合協議会書記長牧達夫が出席して交渉したところ、基本給算定の基礎にかんする一点を除き解決の一歩手前に至つたので組合側は争議解決の附帯条件として会社側に対し「争議中の一切の問題について犠牲者を出さない」と確約して欲しいと申入れたところ、工場長は「会社としても私としても処罰するのであれば今までにしているはずである。悪いようにはしないから自分に委せてくれ」と快諾した。ところが、その日は前述の一点において交渉は成立するに至らず同月一二日前回同様の出席者の下に再び交渉が開かれた結果遂に争議は妥結し、直に会社と右組合との間で新賃金協定書が作成された。その際、組合側は前記附帯条件にかんする前回の約束を確かめこれを文書に作成するよう要求したところ、工場長は「特に協定書は作らないが工場長の責任において犠牲者は出さない。」と確言したので、組合側は、工場長は終始会社側の代表者として交渉に当り、また、従来とも工場長がその責任においてとつた処置については会社もこれを尊重してその処置に反するような挙に出たことがないので(越年資金闘争の際にも工場長独自の肚で余分に金一、〇〇〇円を出すと約束し、その通り履行された。)工場長がそういう以上、その旨は当然会社にも通じ、会社もそれを尊重して工場長のなした右特約に背くことはないと信じ、協定書を作ることなく、こゝに争議は妥結した。かくのごとく、組合は、工場長並びに会社に全幅の信頼をおいて、右の点につき協定書を作ることなく争議妥結に応じたのに、会社は同年七月四日になつて突如工場長名義で申請人に辞職勧告書を送り次いで前記処分に及んだのであつて、右処分は、全く会社と組合との信義に背く行為である。
(3) 申請人は元来、温和且つ真面目な性格であつて右工場に勤務以来未だかつて他人と喧嘩したこともなく、前記喧嘩も前述のような特殊な事情のもとでなされたものであるから、職場の秩序維持を目的とする就業規則第七〇条第三号に云う暴行をなしたものとして懲戒解雇する必要は全くないのである。
三 かく、右懲戒解雇処分は無効であるところ、申請人は家族五人を擁し、会社よりの給与を除いては他に収入はなく到底本案判決確定まで待ち得ないのであるから会社に対して本案判決確定の日まで、仮に従業員であることを定め、且つ、従業員として受けていた月一〇、七八七円の給与を会社がその支払を停止した昭和二七年八月一日から本案判決確定の日まで毎月二五日かぎり支払うことを求めるため、本件仮処分申請に及んだ次第である。
被申請人の主張事実中、その主張の日、会社が懲戒委員会規則を制定するに当つて、その主張のごとき出席者の下に交渉委員会を開いたところ第一組合よりの出席者が右規則制定にかんする審議を拒んだこと、第二組合が右規則に同意したこと、申請人主張の日、会社が第二組合に対し、申請人主張のごとき内容の書面を以つて会社のなした懲戒処分に対する同意を求めたところ、回答がなかつたことと、当時、第二組合が過半数の従業員を以つて組織せられていたことはいずれも認めるがその他の事実は争うと述べた。(疏明省略)
被申請代理人は、申請人の仮処分申請を却下する。との判決を求め、答弁として次のように述べた。
一 申請理由一、の事実は認める。
二(一) 申請理由二の(一)の事実は争う。会社は懲戒委員会規則を作成するに当り昭和二七年七月一六日会社側より木村工場長が出席し第一組合より申請人外二名を招き交渉委員会を開いたところ、第一組合は右規則制定にかんする審議を拒んだので、即日当時過半数の従業員を以つて組織せられていた第二組合(従業員三二名中一八名)の同意を得て右規則を制定したのであつて、その間に、なんら労働基準法第九〇条に違反する点はない。また就業規則第七四条の規定は終局的に懲戒処分に付する際、会社は組合の同意を得なければならない旨規定しているにすぎず、その前段階である懲戒委員会規則の制定にまで組合の同意を要する趣旨ではない。
(二) 申請理由二の(二)の事実中、申請人主張のごとく第一組合が本件懲戒処分につき会社より求められた同意を拒絶したことは認めるがその他の事実は争う。会社は同年七月二六日第二組合に対し、申請人を懲戒処分に付した懲戒委員会の決議を伝えてその同意を求め、同月二八日正午までに回答するよう、もし回答のない場合は同意したものとみなす旨通知したところ、第二組合は右期日までに回答せず、右処分に同意した。そして、前述のごとく第二組合は当時過半数の従業員を以つて組織せられていたのであるから、その同意のみで就業規則第七四条の要件は満されているのである。仮に然らずとするも、第一組合の同意拒絶はなんら正当の事由がなくしてなされたものであつて同意拒絶権の濫用である。
(三)(1) 申請理由二の(三)の(1)の事実中、第一組合がその主張の日定期大会を開きその主張のような決議をなし、主張の頃より会社と団体交渉を始めたこと、会社側はその代表者として木村工場長が右交渉に当つたこと、申請人の主張の日第一組合が坂口外二名を除名したところ、その後申請人主張のごとき人々により第二組合が結成されたこと、その主張の日申請人外三名が坂口に打撲傷を与えたことはいずれも認めるが、その他の事実特に、右暴行事件の性質については争う。右暴行事件はなんら争議に関係なく、平常通り作業に従事しようとして作業衣に着替える準備をしていた坂口に対し突然なされたものであり、しかも単なる暴行に止まらず坂口に全治一週間の傷害を与え、ために同人をして以後約二〇日間も休業するの止むなきに至らしめた悪質のものであり、それに対してはすでに国家機関である尼崎簡易裁判所も罰金五、〇〇〇円を科している程のものである。
(2) 申請理由二の(三)の(2)の事実中、申請人主張の日主張のごとき出席者の下に交渉が行なわれたところ、主張のごとき一点を除き解決の一歩手前に至つたこと、申請人主張の日前回同様の出席者の下に交渉が開かれ、遂に右の点も妥結し、こゝに争議はすべて解決し、即日新賃金協定書が作成されたこと、越年資金闘争にかんし、工場長が申請人主張のごとき処置をとつたこと、主張の日、会社が申請人にその主張のごとき辞職勧告書を送つたことはいずれも認めるがその他の事実は争う。特に工場長が右交渉の席上第一組合に対して「争議中の行為について一切の犠牲者を出さない」と特約したことは絶対にない。それどころか、会社は右暴行傷害事件が起つた後一切第一組合との交渉に応じない態度を取つたところ、全金属兵庫支部書記長古賀友次郎より「これは全く個人的問題だから別個に交渉してくれ」との申込があつたので交渉を続けた程である。
(3) 申請理由二の(三)の(3)の事実は争う。
(4) かくのごとく、申請人のなした右暴行は非常に悪質のものであり、特に国家機関である裁判所により罰金五、〇〇〇円を科せられている以上、これを放置することは工場の秩序維持のため絶対に許されないのであり、申請人の懲戒解雇処分は正当且つ必要な処置なのである。
三 申請理由三の事実中、申請人が従業員として、会社より一ケ月金一〇、七八七円を毎月二五日かぎり給与されていたことは認めるがその他の事実は争う。
(疏明省略)
理由
一 申請理由一、の事実は当事者間に争がない。
二 申請人主張の日、会社が申請人主張のごとき懲戒委員会規則を制定したことは当事者間に争がなく、申請人は、右規則は会社が第一組合に諮ることなく一方的に制定したものであるから無効であると主張するから判断しよう。成立に争ない甲第一号証(規約、協約集)によれば会社の就業規則には直接懲戒委員会にかんする規則を定めることなく、その第七一条で「懲戒委員会にかんする規定は別に定める。」と規定し懲戒委員会規則にその内容を委任していることが明かであるから懲戒委員会規則は就業規則の内容をなすものであり、その制定に当つては、労働基準法第九〇条によつて組合の意見を聴かなければならないことは明かである。しかし、元来就業規則はその性質上会社が一方的に決定し得るものであり、単に労働基準法第九〇条は労働条件についてはできるだけ労使対等の原則を貫こうと云う労働法の立場より訓示的に規定せられているにすぎないのであつて意見を聴取しなくても就業規則制定の効力には少しも影響はないのであるから、たとえ会社が第一組合の意見を聴かなかつたとしてもそれのみみを以つて右懲戒委員会規則を無効と断ずることはできない。また、申請人は就業規則第七四条により懲戒委員会規則の制定に第一組合の同意を要すると主張するが右甲第一号証によれば同条は単に会社が懲戒処分を行うにつき組合の同意を得なければならない旨定めているにすぎず、更に進んで右処分の前段階である懲戒委員会規則の制定についてまで組合の同意を要求しているものではないと云わなければならない。のみならず、会社が、右懲戒委員会規則を制定するに当つては、第一組合から申請人外三名を招いて交渉委員会を開いたところ、同人等が審議を拒んだので、当時過半数の従業員で組織されていた第二組合の同意を得て右制定に及んだことは当事者間に争がないのであるから、右制定手続にはなんらの違法がないこと明かである。したがつて、申請人の右主張は理由がない。
三 次に、会社が昭和二七年七月二六日、就業規則第七四条により第一組合に対して申請人を懲戒処分に付した懲戒委員会の決議を伝えその同意を求めたところ同月二八日右組合は同意を拒絶する旨回答したことは当事者間に争がなく、申請人は右のごとく右処分には第一組合の同意がないから無効であると主張するから判断しよう。就業規則第七四条には単に「組合の同意を得てこれを行う」とあるが、そこに云う「組合」とは労働基準法第九〇条におけると同様「労働者の過半数で組織する組合」と解すべきである。蓋し、労働者の過半数で組織する組合の同意を以つて、労働者全員の保護は必要にして且つ十分であるからである。而して当時、被申請人会社には第一、第二の両組合が存在しており第二組合が過半数の従業員で組織されていたことは当事者間に争がなく真正に成立したことに争ない乙第一二号証(新組合結成声明書)の記載に証人森末伯一、松本加蔵の各証言及び弁論の全趣旨を綜合すれば、第二組合は第一組合よりとかくの批判は受けてはいるものの労働者が主体となつて自主的にその経済的地位の向上を目的として組織された組合であることを窺うことができないわけでもないから右認定を左右するに足る資料のない限り適法な労働組合であると云わねばならない。したがつて、第二組合の同意があれば就業規則第七四条の要件は満されるところ、被申請人主張の日、会社が第二組合に対し、右懲戒処分に同意を求め、且つ被申請人指定の日時までに回答がない場合は同意したものとみなす旨通知したのに対し右組合が回答しなかつたことは当事者間に争がないから、第二組合は右処分に同意したものと云わなければならない。しからばその間になんら就業規則第七四条違反の事実がないことは明かであるから、申請人の右主張は採用できない。
四 次に、右懲戒解雇処分は解雇権の濫用であるかどうかの判断に進もう。
(1) 先づ本件暴行事件の原因と性質を考えよう。
申請人を執行委員長とする第一組合が申請人主張の日定期大会を開きその主張のような決議をなし、主張の頃より会社と団体交渉を始めたこと会社側はその代表者として木村工場長が右交渉に当つたこと、申請人主張の日、第一組合が坂口外二名を除名したところ、その後坂口等が第二組合を結成したことは当事者間に争がない。而して証人牧達夫、森末伯一、松本加蔵、足立隆一の各証言並びに申請人本人の供述によれば、昭和二七年三月上旬、第一組合が前記決議に基き会社に諸要求を提出したところ、会社側の代表者である前記工場長は同月二五日まで交渉に応じられないと拒み、交渉が停滞したまゝ日時が経過していたところ、同月二三日になつて右組合員の坂口は外二名と共に新組合の結成を企て右結成に参加するよう組合員を勧誘して廻つたので申請人はじめ第一組合の幹部は前記工場長の言動と照し合せこれは会社と坂口等が共謀して第一組合の力を弱めて交渉を会社に有利に導く策謀であると思い痛く憤激し直に前記除名処分に及んだところ、右除名処分を甚だ不快に思つた坂口等も直に前述のごとく第二組合結成に及んだが、その後、会社は第一組合に対しては第一組合と提携しないうちは交渉に応じられないという態度をとつたので、第一組合の執行委員長として交渉に全力を挙げ、なかなか交渉が軌道にのらないことに焦燥していた申請人は会社に右のような態度をとる口実を与えた第二組合、特に率先して右組合を結成した坂口を憎悪し、一方、坂口も除名されたことから申請人はじめ第一組合の幹部に反感を抱き両者の間に極めて険悪な空気が燻つていたところ、たまたま申請人主張の日時、作業衣に着かえるため右工場従業員食堂にやつて来た坂口が同人の脱衣箱の上においてあつた第一組合の宣伝用ポスターの用紙にしていた古新聞紙を投げすてたことから、両者の感情は爆発し、殴打の末、申請人主張のごとき結果になつたことを認めることができる。証人藤田斎、木村与次郎の証言中右認定に反する部分はたやすく信用しがたくその他に右認定を左右するに足る資料はない。一方証人牧の証言申請人本人の供述によれば申請人は元来おとなしく且つ真面目であり右工場に勤務するようになつてから一度も他人と喧嘩したようなことはないことを認めることができ右認定を左右するに足る資料はない。そうすると、右暴行事件は遠く、争議中の不安定な心理と興奮した雰囲気に源を発し、更に第一組合と第二組合間の前述のごとき感情のもつれが双方の指導的立場にある両人の間を極度に緊張させ、たまたま古新聞紙をきつかけにして右のような喧嘩をするに至らしめたもので殊に争議のさ中における組合の分裂が申請人をして感情の爆発を抑制しきれず暴行沙汰に出たことは、決してほむべきことではないが、その情において十分諒とすべきものがあると云うべく、それは通常の加害者の悪性に基く暴行事件とは全く性質を異にするものと云わなければならない。
(2) 次に、同年六月一〇日申請人主張のごとき出席者の下に交渉が行われた結果会社と第一組合の交渉は基本給算定の基礎にかんする一点を除き解決の一歩手前に至つたがその日はその一点で交渉は行詰りその翌々日前回同様の出席者の下に話合が進められ、遂に争議が妥結し新賃金協定書が作成されたことは当事者間に争がない。而して、成立に争ない乙第二号証、第一一号証、証人牧の証言により真正に成立したと認める甲第七号証の各記載に証人牧、松本、足立の各証言、申請人本人の供述を綜合すれば、右六月一〇日の交渉の際ほゞ争議妥結の見通しがついたので組合側が争議解決の附帯条件として会社側に対し「争議中の一切の問題について犠牲者を出さない旨確約して欲しい」と申入れたところ、工場長は「会社としても自分としても処罰するのであれば今までにしている筈である。悪いようにはしないから自分に委せて欲しい。」と断言し、更に同月一二日新賃金協定書が作成された際、組合側が再び右特約を確かめこれを文書に作成するよう要求したところ、工場長は「二枚舌を使うようなことはしないから自分を信用して欲しい。文書は作成しないが、工場長の責任において絶対に犠牲者は出さない。」と確約した。そこで、組合側は、工場長は終始会社側の代表者として交渉に当り、また、従来、工場長がその責任においてとつた処置については会社もこれを尊重してその処置に反する挙に出たことはないから(越年資金闘争において工場長が申請人主張のごとき処置をとつたことは当事者間に争がない。)工場長がこんなにまで云う以上、その旨は当然、会社にも通じ、会社も右特約を踏みにじることはあるまいと信じてその点にかんする協定書を作らなかつたことを認めることができ、証人藤田、木村の各証言中右認定に牴触するところは措信できないし他に右認定を左右するに足る資料はない。しかして、工場長が第一組合に右のような確約を与えたことは工場長と会社との関係から考えるときは反証なき限り会社において知つていたものと認めるのを相当とする。ところが、その後間もない同年七月四日になつて会社が工場長名義で申請人に解雇勧告書を送り次いで懲戒処分に及んだことは当事者間に争がない。
(3) ところで、懲戒解雇処分は労働者にとつては、その死命を制する極めて重大なものであるから、会社はその解雇権を行使するに当つては慎重に諸事情を考慮して必要な最少限度の範囲内でしかも信義則にのつとつてこれをなさなければならないことはもちろんであつて、単に暴行事件が起り略式命令により罰金を科せられた一事を以つて直に右処分に及ぶことは許されないところ、前認定のごとく申請人の惹き起した右暴行事件はその悪性に因るものではなく、特殊な原因から生じた特殊な事件であつて就業規則第七〇条第三号を適用しなければ今後職場の秩序維持に支障を来す恐れありとは到底断じられない。更に、それが会社に対し直接効力を生ずるものでないにしても工場長が第一組合に与えた前記確約に第一組合が全幅の信頼を置き争議妥結に応じたにかゝわらず、日ならずして会社は右事情を知りながら不信にも右確約を全く無視して、さまで必要でない右懲戒解雇処分に及んだものであつて、それは、明かに解雇権行使の正当な範囲を逸脱し解雇権の濫用と云わなければならない。したがつて、右処分の無効であること明かである。
三 かく、右懲戒解雇処分は無効であるところ、真正に成立したと認める甲第四号証によれば、会社は申請人に対し昭和二七年八月一日以降同人の月額金一〇、八七八円の給与を支払つていないこと明かであり、一方申請人本人の供述によれば、申請人は家族五人を擁し会社より受ける右給与を除いては他に収入のないことを認めることができる。したがつて、本案判決確定に至るまで、仮に、申請人の、被申請人会社の従業員である地位を保全すると共に被申請人会社は申請人に対し昭和二七年八月一日より本案判決確定の日まで前記一ケ月金一〇、八七八円の給与を毎月二五日かぎり支払う必要性があること勿論である。よつて、申請人の本件仮処分申請を認容し訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 古川静夫 西村哲夫 田尾桃二)